夜勤病棟の女神様(仮)

ひよっこナースの日常

最も多い業務上疾病は問われない

あけましておめでとうございます。1本目はみんな大好き国家試験ネタ。

看護師国家試験における鉄板必修問題の一つに「最も多い業務上疾病は何か」というものがあります。正解は「負傷に起因する疾病」もしくはその内数である「腰痛(災害性腰痛)」だったのですが。

圧倒的じゃないか、COVID-19は

業務上疾病発生状況

データソースは政府統計「業務上疾病発生状況」。労働基準法 第75条、労働基準法施行規則 第35条に基づき、休業4日以上となった業務上疾病の発生状況です。

様変わりもいいところである。もはや圧倒的大差で「病原体による疾病」、その内数である「新型コロナウイルスり患によるもの」が最多です。

業務上疾病を問う問題は直近で105回(2015年度), 99回(2009年度)と出題されていて、問題集には必ず出てくる問題でもあります。しかしその実数を示した表や推移を示したグラフを見たことがある看護学生はいないのでは*1。なぜならば圧倒的に負傷で、圧倒的に腰痛という状況が続いていたから。全く変わることなく、続いていたから。

COVID-19の影響を受ける直前の年、2019年の統計を見てみると、業務上疾病8,310件のうち72%の6,015件が負傷、62%の5,132件が腰痛です。他の疾病とは文字通り桁が違う状況で、同年は「異常温度条件による疾病」が同じ4桁で食い下がるものの1,039件と全く及びません。こんな状況ですから腰痛とだけ覚えるのが当然になっていました。

慣例によれば今年2024年の国家試験で問われるのは2021年統計。最も多い業務上疾病は「新型コロナウイルスり患によるもの」になるのですね。

ただ、私は問われないと考えています。10年後はわかりませんが、現時点ではあくまで短期的な変動と見るべき事柄。統計についての必修問題は長期の傾向から日本の行き先の理解度を測るためのものでは。直近の変化であった死因における老衰を問う問題が出されたのは、今後長期にわたって老衰が増えて行くであろうとの流れからですよね。COVID-19が長期にわたって業務上疾病の主役たり得るか。そうではないと思うんですがねぇ。

よく見るとおもしろい業務上疾病発生状況

私もご多分に漏れず、業務上疾病発生状況の統計値をまじまじと見たことなどありませんでした。しかし今回この記事を書くために見てみると、結構おもしろいんですよ。

  • 腰痛は漸増傾向。2022年度と10年前を比べると約3割増
  • 腰痛が最も多い業種は保健衛生業、全体の約3割
  • 新型コロナウイルスり患によるものが最も多い業種は保健衛生業(割合はまだバラバラ)
    • 2019年以前の病原体による疾病からして最も多い業種は保健衛生業、全体の5~6割

腰痛は貨物取扱業が多いのかなと思っていたんですが。まあ、いわゆる労災として扱われ、4日間以上休業している数ですからね。腰痛になって労災です休みますが通る業種なのかってのもあるのでしょう。保健衛生業の腰痛なんて日頃の運動不足によるところだろうと突っ込みたい例が多数あるとかないとか。ホワイトであるなぁ。


看護学生なら教科書として持っているけど、試験を通すのに不要だからまず読まないよね。興味のあるところを眺めると結構おもしろいんだけど。

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*1:よほど熱心な学生なら『国民衛生の動向』で実数を見ているかも知れません。

病院のゆく年くる年

2019年末を最後に冬コミに参加することもなく穏やかな年末を送っているつもりでしたが、意外と忙しかったのかこの時期の病院について書いたことがありませんでした。今回は年末年始の病院の様子をお届け。

謹賀新年

いつも通りの休日運用

通院患者に対応する外来は救急を除きお休み、入院患者を収容する病棟は維持運用。土日と同じですね。ちょっと長い連休と言ったところ。5月のゴールデンウィークと同様で、さほど特別な動きはありません。

年末年始が見えてくると年越し集中治療になるような大きな治療は急ぎでない限り控えられるというのはあります。だから暇になるかというと、他の治療はあるので、そうでもないという感じです。

院内は平常通りながら世間では特別な年末年始、入院患者の動きには多少の違いがあります。何とか退院したい、入院を遅らせたいって人が出てきますよね。入院患者には高齢者が多く、年に一度か二度の帰郷を待つ側です。年末年始は家で過ごしたい、帰してくれと。結果として入院患者数は減る傾向にありますが、急な病で入ってくる人もいるわけで、まあそれなりの減り方です。

年末年始恒例傷病

餅。餅を詰まらせて生死の淵をさまよう人対応。これは年末年始特有のイベントと言ってよいでしょう。入院にまで至る人は重症で集中治療を要する人ですから、休日運用でスタッフを絞っている中で、各人の負荷が急上昇します。

あとは地域柄、バイク事故。年越し宗谷岬の余波ですね。臓器損傷が疑われれば確実に入院です。こちらは若い人が多いこと、そもそも注意を払ってバイクに乗っていることから、大事には至りにくい印象です。

兵站線は切れる

年末年始のお楽しみと言えば多くの人にとって長い連休であり、長い連休を作るのは多くの休業です。病院にあれこれを納入してくれる業者もご多分に漏れず、連休に入ります。よって物資の供給が途切れることになります。年末が見える頃には備えた発注が行われますが、うまく確保できないこともあるとか。私自身は物がないと困ったことはありませんが。

同様に外注の洗濯も止まります。おかげで年末年始に出ていると制服が足りなくなります。2日間同じ服を着るか、自前で洗うかですね。私は後者です。

年末年始の出勤事情

ここまでで「平常運転の病院 対 特別体制の世間」という図式が見えてきたかと思いますが、その締めくくりはスタッフの確保です。大晦日は、元日は、年末年始は休みたいという人はいますからね。逆に年末年始は何もないから出られるという人もいます。結果としては平常運転の病院が成立することになります。

尤も、できれば休みたい程度では休日希望を出しにくいと感じている人が大半でしょう。そんな犠牲の上に平常運転が成り立っていることは押さえておきたいですね。私が聞き及ぶ限りにおいて、本当に自由に休みが取れている病院ってありませんよ。


こんにゃくゼリーはあれだけ叩かれ、対策してきたが。餅は野放し。

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バイク乗り憧れの道、オロロンライン沿いに住んでみた

無駄遣いは文化を紡ぐ行為。無駄遣い最高! とゆわけで、趣味で乗っている奢侈品のバイクについての話題だよ。

私が住む場所は稚内市、バイク乗り憧れの道として名高い日本海オロロンライン道道106号線の北の終着点付近です。初代稚内駅のあったところ。オロロンライン沿いのセイコーマートはここが最北。北海道を目指してくるライダーにしてみればこんな熱い文字列の並びもないだろうって位置にあるのが我が家です。

長距離ツーリングが趣味のライダーの多くはオロロンラインの名前を知っていますし、名前を知らなくても日本海沿いに北上するひたすらまっすぐな道と言えばみながわかるほどです。そんな有名なオロロンラインですが、その道沿いに住むライダーってのはそう多くないのでは。

とゆわけで、オロロンライン沿いに住むバイク乗りが感じる、オロロンライン沿いに住んで良かったことと悪かったことを書いていきましょう。

Good Evening Wakkanai City. June 14, 2023

良かったこと

いつでも気持ちよく走れる!

あの景色が毎日でも見られる

自宅の前はオロロンライン沿いとはいえ市街地ですが、10分も走れば市街地を出て、見渡す限り誰もいないことすらあるあの景色です。素敵。

渋滞のない日帰り旅を満喫

そのまま南下して羽幌で山側、霧立峠を貫く国道239号へと入り、士別に出たら国道40号を北上して帰ってくる。これで400kmほどですが、どこにも渋滞などありません。すんなり日帰りで走れます。バイクの水温はいつだって最低、燃費はいつだって最高。なんて素敵なんでしょう。

悪かったこと

何事も度を過ぎれば、ね。

タイヤの真ん中だけが減っていく

地図を見ていただければわかりますが、旅の始まりとなる日本海オロロンラインの南下では真っ直ぐな道が100km以上続きます。上述した羽幌までで130km、留萌まで行くなら180kmです。当然ですが帰ってくるときにも同じ距離を真っ直ぐ走ってくるわけで、旅するたびにタイヤの真ん中が激しく減っていきます。今まで何セットもタイヤを替えてきましたが、悲しいほどに真ん中だけが減ります。

ちなみに稚内から日本海オロロンラインではなく、真ん中の国道40号や、オホーツク海沿いの国道238号を選んでも真っ直ぐな道は100km以上。稚内に住む限り、センターのスリップサインだけが現れる悲しい減り方は避けられません。尤も、北海道全域でこの傾向はあるんですけどね。

真っ直ぐに飽きる

年に1回、2回走るなら、うあーまっすぐだーって喜べるんでしょうけど。1シーズンで何回走るんだろうね、片道1回として30回ぐらいは走るんですかね。何もないただひたすら真っ直ぐな道なんて飽きますよ。この辺は乗っているバイクにもよるのかも知れませんが。私の場合、VFR800F、CBR1000RR-R Firebladeといずれも直線を楽しむバイクではありませんからねぇ。

疲れて帰ってくるとき、手塩以北の本当に何もない原野を走る70kmなんて苦行。でも、稚内市街地に入る直前の夕日が丘パーキングあたりで、耐久レースで最終コーナーを回ったが如くアクセルを緩め、上体を起こし、「ただいまー」とヘルメットの中で言うのはいつでも達成感があるものです。真っ直ぐなことには飽きますが、真っ直ぐな道を走りきることはいつだってそんなに悪くはなかったです。

虫、虫、虫

北海道を走ったことがある方ならご存じでしょうが、とにかく虫が多く、夏に100kmも走ればバイクもヘルメットもジャケットもパンツも虫、虫だらけ。この傾向は北に行くほど強く、オロロンライン沿いで言えば留萌以北あたりは虫虫虫虫虫って感じですよ。おかげで頻繁に洗車するし、ジャケットとパンツはレザーだしちゃんとお手入れもするし*1と、趣味としては悪くない方向に振れている気もしますが。

気持ちよく走れるのはとにかく最高

オロロンライン沿いに住んでみて、バイクで走るって最高だなって思えた場面の方が圧倒的に多い気がします。なんだかんだ言いながらも、いつも楽しかったですよ。

ただ、稚内だとディーラーまで遠すぎるんですよね。最寄りのホンダドリーム、旭川までは240km。私がお世話になっている札幌は330km。オロロンライン沿いに住むなら、羽幌か留萌あたりがいいんじゃないですかね。


休憩のたびシールドを清掃するため、シルコット アルコールタイプをバッグに入れてあります。

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*1:レザーなら虫がどれだけつこうとも濡れタオルで拭って綺麗にできる。

稚内での生活に車は必要か

弘前稚内と来て、相変わらず車を持たずに生活している私がこの問いに答えるべき時が来たようです。

否、不要だよ

車を持たずに6年近く生きてきた人がここに実在しているのだから、必要かと問われれば答えは否であり、不要であります。たまに会う階下の人も、車を持ってないけど生きてらっしゃいますね。生活に車が必要なら私たちは死んでいなければなりません。

私の周りに歩いて数分のコンビニまで車で行く人たちがいるのは弘前稚内も変わらないのですが、必要か否かの主張には温度差が多少あります。弘前では「まあ持ってない人もいるけど」ぐらいですが、稚内ではきっぱり「必要」ってところですかね。何にせよ、生活必需品と感じているようです。

ところが弘前稚内都道府県で言い換えれば青森県と北海道は、意外と車が普及していない地域なんです。自動車検査登録情報協会の「自家用乗用車の世帯当たり普及台数(2023年3月末現在)」によれば、青森県は全国で32位の世帯あたり1.214台、北海道は40位で0.993台です。ちなみにさらに前に暮らしていた東京都は0.416台、埼玉県は0.933台です。北海道と埼玉県はあまり変わらないのか。都道府県と範囲が広がっているとは言え、必要性を裏付けるには厳しい印象がありますね。

悲劇のヒロインになりたい

では彼らはなぜ、必要だと言い切るのでしょうか。

一つは単純に「私には必要」です。質問が正しく受け取られておらず、言葉通りの要否ではなく、個人の価値観を答えているわけですね。これは仕方ない。うん、「必要」なんだよ。

もう一つが厄介な思考をなさる方々です。「コンビニやスーパーまでどれだけ離れていると思ってるの?」とか言う人たちね。いや、そんな離れてないよ、市街地では。稚内での生活と言われて、市街地ではなく、集落ですらなくポツンポツンと家屋が出てくるような道道1199号沿いみたいなのを例示するのはおかしい。彼らに「じゃあ東京ではどうだろう?」と問えば「不要」って答えるのでしょうが、奥多摩の山奥を意識していますかね。東京は公共交通機関が発達しているとお思いでしょうが、島嶼部を意識していますかね。たいていの人が住むのが市街地であり、代表例、一般論としては市街地を取り上げるのが前提なんですよ。いくらおかしい彼らでも、本当はわかっている、と、優しく思いたい。

ではなぜ、そんな無理な必要論を展開するのか。必要でないものを必要と訴えるのか。都会にはない苦労がここにはあるんだよって、恵まれない気持ちの表現なのでは。悲劇のヒロインになって慰めて欲しいのでは。例えば東京と稚内を比べたら、確かにあらゆる点で稚内での生活は不便です。私も稚内の方が便利だとは思いません。生活の話をするに当たって、その思いの吐露を避けることができないのでは。車がないと何もできないような不便なところで大変な思いをして暮らしているんです。可哀相でしょ、私たち。ってね。

仮に車が不要だと認めれば、車は奢侈品となり、自分たちは贅沢しているという表現になる。車が必要かとの問いは相対的に都会の人たちから降りかかるものであり、問いかける人より生活で苦労しているとの思いがあるのに、当然に贅沢しているという表現はしがたい。そんなことは明確に自覚していないのでしょうが、故に、とにかく必要との主張にこだわる。これが稚内で暮らしてきた末に私が得た結論です。弘前稚内の温度差もこれで説明できますよね。

車を持つにしたって、生活上の移動に必要なためだけであれば、多くの人はアルトの最低グレードでもあれば十分なはず。しかし車が必要だとのたまう方々の乗る車はどうでしょう。街を走っている車はどうでしょう。この観点からも車が必要だという主張は怪しいのですよ。

尤も、悲劇のヒロインになりたい気持ち、毎日贅沢していると表現しがたい価値観は、彼ら特有のものではないのだと思います。その根幹に何があるのかはわかりませんが。清貧なのかね。まあ、それは何でもいいんです。無駄遣いしていますって、言いがたい空気が我が国にはありませんか。特に昨今、コスパだタイパだ言われ、無駄の行き場がなくなっていませんか。無駄こそが文化である。無駄遣いは文化を紡ぐ行為である。堂々と「必要ないけど、あると便利だから」でいいと思うんですけどね。

今、改めての結論

稚内のでの生活に車は不要だけど、あると便利だと思う人が多いよ。渋滞とは無縁の環境なのでどこでも車で行けちゃう。

歩くことに慣れていれば、車がなくて困るって感じもないかな。車を持たない分、他の無駄遣いをする選択肢もあるよ。

ちなみに稚内の市街地は結構バスが走ってる。バスで通勤している人もいるよ。


地図、あまり使わなかったなぁ。

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Merry Christmasではなくメリークリスマス

昨日、おっと、日付は変わって一昨日か、炭素回収技術研究機構(CRRA)の村木風海氏の名前を見かけて思い出しました。実は彼と私は同期なんですよ。

と言っても、大学改革支援・学位授与機構への学位授与申請が同じ2023年度4月期だってことなんですが。それで思い出したのが、彼は学位取得後、提出した学修成果レポートを公開すると言っていたことです。己のを公開するぐらいですから、他人のはもちろん読みたい。

期待外れから得る教訓

どうなったのかな、公開されているのかな、と見に行ったのですが。

Muraki, K. Methane production from carbon dioxide using aluminum foil. To be submitted.

本論文の経過補足:

実験は2017年に、広島大学のご協力の下行いました.

その後投稿の機会を窺っていましたが, 学位授与機構の条件として, 学位論文として提出する論文はジャーナル投稿前に限るという要件があり, 私自身の学士号取得の為に投稿することができないままいました. 本年度に学位取得後はすぐにジャーナルに投稿し, 発表予定です.

(炭素回収技術研究機構「機構長プロフィール」より)

んー。どうやら学士の学位を取得できていないのでは。

Google先生に聞いてみても彼が学位を取得したという情報は得られませんでした。

いろいろな見方があるかとは思いますが、私は彼の学力が学士の水準に対して十分なものだろうと見ています。東京大学理科一類および工学部で学位授与申請に必要な124単位以上を修得しているのですから。我が国で屈指の難関大学で、数学、物理学、化学を修めているわけです。少なくとも私など足下にも及ばない。

その彼が、先の記事の通りそこまで難度が高くないであろう学位授与試験を、学力を理由に落とすとはどうにも考えにくい。ではなぜ学位を得られていないのだろうか。

推測に推測を重ねるわけですが。彼の学修成果レポートが上述引用部の通りの表題で、学位授与申請に通らなかったのでは。学修成果レポートは日本語で作成しないとならないんですよ。

この手の話はバカにするようなことではなく、結構やらかしがちです。私などは日本語でしか書けないから同様の誤りはあり得ませんし、作成アプリケーション検討のため様式を細かくチェックしたりするのですが。Twitterか何かで申請不受理となった理由がレポートの様式、ページ数にあったような話を見かけた記憶もあります。

申請条件への適合が甘いと32,000円と半年を失いかねないので、今後申請を考えている人は地味な話ですが『新しい学士への途 学位授与申請案内』を申請前に読み返すべきです。条件を誤って思い込んでいること、まさに意外とありますからね。

なお、彼がその後10月期に申請していれば、結果が出るのは来年2月下旬。学修成果レポートが読めることを楽しみにしたいと思います。


私が昨日、今年のクリスマスイヴに買ったプレゼント。ではみなさん、メリークリスマス。よい夜を。

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学修成果レポートの長いあとがき

じんぐっべー、じんぐっべー、すっずっがーなるー。

昨日公開した学修成果レポートについて、言い訳する時間がやってきたよ。

テーマと弱い結論

現役の臨床看護師なので、臨床からネタを持ってくるってのは自然なところだと思います。身近にこんな問題があって、それは割と世間で共通の問題で、原因はこうで、解決策はこうかな。という流れがいいよね。ってことで、身近な問題から身体拘束を取り上げてみました。

私は本当に身体拘束が嫌いで、やむを得ず本人に了解を得られた場合*1以外は縛りたくないんです。そこには違法性の認識もありますが、必要性への疑問もあるのです。急性期一般入院料1をもらって治療をする中で、身体拘束は治療に必要なのか、寄与しているのか。大体答えは否だと思うんですよ。

加えて身体拘束を巡る看護師の認識には許されない問題があるという感覚を持っていました。法治国家である我が国において度しがたい問題、それは拘束をする看護師に違法性の認識がないということ。法は知らなかったでは済まされません。済まされるなら殺し放題、スピード出し放題ですよ。そんなバカなと思うでしょうが、院内では縛り放題になっている。このことを見聞きした情報だけではなく、確固たるデータとして示せたらそれなりのレポートになるかな。とfeasibility studyしてみたところ、結構いけそうだということで書くに至りました。

結果、それなりの論拠で法は知らずに縛り放題、それでも縛るのは好ましくないと感じつつ縛ってしまう言い訳のお気持ち表明が横行していることを示せました。「思う」とか「感じる」ってのを「である」って置き換えられたことには高い価値があります。

余談ですが、看護学生時代の同級生が、身体拘束に否定的な意見を否定しているのとか見るの、結構悲しいですよ。お前はどこで違法行為に手を染めるようになってしまったんだって話ですからね。

一方、根本にお気持ち問題が絡んでいるので、臨床現場での対策はどうしても弱いものになってしまったなとは感じています。私が横断歩道を渡ろうと待っていても車を止めない連中に、私が有効に働きかける方法はありませんよね。その場だけなら、大きく手を振るとか、思い切って前に出るとか、ありますけど。そういうことです。

くどい引用記法

今回、多くの引用で「Authorによれば、あれやこれやである(Author, yyyy)。」という記法を用いています。一般的には「Author(yyyy)によれば、あれやこれやである。」か「あれやこれやである(Author, yyyy)。」ではありませんか。そう理解しつつも今回のくどい記法を採用した理由は、『新しい学士への途 学位授与申請案内 令和5年度版』において引用について妙にうるさく書かれているからです。念のため、極めて明らかな方法をとりました。

妙にうるさく書かれている理由が、過去にやらかしてしまう学生が結構多かったが故なのか、何なのか、不明です。赤信号を渡るなってのを延々と注意書きされているような状況に警戒しないわけにもいきません。『新しい学士への途』に具体的指示を伴う説明がない以上、従うべきは法令のみということになり、引用部と出典が明確なら形式はどうでもいい。そこで美しくない気がしながらも、安全側に倒した結果ですね。何となく、過去のやらかし由来で、わかっていれば気にしなくてもよいのかなと思いつつ。

こういう場面で先例があると助かるのですが、それもなかったので。今回一つの例を公開したことで、後進の方々が悩まず進める一助となれば嬉しいですね。

試験前の読み直しで気づいた過ち

参考文献として挙げたMarques et al., 2017はシステマティック・レビューで、その対象としてSze et al., 2012(これもシステマティック・レビュー)が含まれている。それにもかかわらず2本を論拠として並列に挙げています。なぜ書いていたときに気づかなかった。

試験で気づかされた今後の課題

締めの「今後の課題としたい」はお約束ですが、この課題設定が言い訳になっているなとは書いたときから思っていました。これは私が看護倫理病にかかりかけていたが故のことで、法とデータだ! 倫理なんて知ったこっちゃないぜ! という勢いで押し切れなかったんですよね。拘束と倫理を結びつけないことは手落ちなのではないかという気弱な不安から「看護という領域では倫理に関する議論が活発であり、倫理的観点を含んだ場合に、身体拘束を減らすための方策にも上述主張に比して広がりを得られる可能性がある。」としました。審査を通すための方便とも考えていたわけです。

学位授与試験が凄いところは、一人一人のレポートに合わせた試験問題であることはもちろん、その内容が鋭く学びに繋がるということなんでしょうね。私は2問出されて、1問は本人確認であろう内容の要約。もう1問は身体拘束が全廃されたとして、転倒転落やチューブ類を防止するために有効な看護、看護を行う看護師へのアプローチを説明せよというもの。いやはや、今後の課題はこれですよね。お恥ずかしい。

押すと決めたら押し切らないとダメ。ごまかすような付け足しなど達人には通用しないと痛感するとともに、試験を本当に楽しむことができました。

書いてよかったと思えたことが収穫

当初、果たして本当に臨床で有効な方策が導き出せるのだろうかと思っていました。書き進めるとその思いは強くなる一方で、いやいや、これ本当に役立つの? と。自身疑ってかかったところは「Ⅳ 身体拘束を減らす方策への批判に応える」にも含まれていて、その回答も書いているときにもどうなんだろうと思っていました。

でも、書き終えて、通して読み直すと、臨床の視点からもなるほど意外といけるのかも知れないなって方策になってたんですよね。今回一番効いたのは「身体拘束を行うよう仕向ける同調圧力の存在を示唆している」と言えたことですね。臨床の看護師にはそういう感覚を持っている人が私以外にもいるだろうと思うのですが、そこを理路整然と取り上げて、対策を考えられたことは凄くよかったなと。我が道はまだ長い。どこかで試す機会もあることでしょう。

今回レポートを書くに当たり、お作法をおさらいするために読んだ『最新版 論文の教室 レポートから卒論まで』。

その著者である戸田山和久がある対談の中で、私がよかったと感じた背景の重要性を話していました。

 卒論を書いてもらうことにはきちんとした意義があります。研究者にならない人に卒論を書いてもらわなくてもいいんじゃない? という意見もありますが、私は違うと思う。山内さんも書いている通り、卒業論文は学術論文ではないので、オリジナリティなど必要ありません。結論はありきたりのものでもいいし、誰かがすでに言っていることでもいい。そこまでの材料を自分で調べて、それをまとめて、構造を作っていくということが卒論の大切なところなんです。そのスキルは他のことに転用できるわけですから。

NHK出版 書籍編集部「「論文を書く力」は、一生もののスキルです!――対談:山内志朗×戸田山和久(後編) 」より)

学修成果レポートで求められていることはまさにこれですよね。

学修成果レポートをこれから書く人たちへ

試験まで受けて感じたのは、学修成果レポートでは単純に学問しているのかを評価したいんじゃないのかなってこと。4年制大学卒業、学士の水準ってのはそのあたりで、出来の良し悪し、論考の巧拙までは踏み込まれないのでは。

故に少し軽い気持ちで書いてみてはいかがでしょ。

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*1:インフォームドコンセントがどうのと抜かす連中が本人以外から得た署名をもってして縛ることを正当化して、どこにinformed consentがあると言えるのだろう。

サンタではないから学修成果レポート全文公開

Merry Christmas!

ちょっと早いけど予告通り、大学改革支援・学位授与機構の学位授与申請に挑戦している人たちへのプレゼント。

当方が学位授与申請で提出した学修成果レポート全文、要旨と本文を公開いたします。

ざっとウェブを検索した限り、全文公開している例は見つけられませんでした。まあ気持ちはわかります。私のにしたって出来がいいとは思っていませんし、昨今そんなものを晒して得られる可能性があるのは非難めいた反応ばかりでしょうしね。

それでも私が公開に踏み切るのは

  • ぼっち学修者にとって先例は何にも代えがたい灯火
  • 何であろうとウェブに公開されているものは財産

と信じているからです。前者は今回学位を目指していて感じていたことであり、後者は『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』を観て懐かしく思う心が育んできた精神ですかね。

その辺のあれこれや、解説というか言い訳というか今にして言えることは次回。まずはとにかく学修成果レポートをお届けいたします。

専攻

テーマ名

急性期一般病棟で身体拘束を減らすため、臨床看護師に実行可能な方策

要旨

 本レポートでは急性期一般病棟で行われている患者の身体拘束を減らすために、臨床で働く看護師らによって実行可能な方策を検討し導出することを目的とする。まず背景として、身体拘束とは何か、身体拘束の実施状況、身体拘束を行うべきでない理由、身体拘束が行われる理由を明らかにする。その上で身体拘束を減らす方策を検討、主張する。次いで同方策に対して考えられる批判に応えることで、その有効性を主張する。

 身体拘束とは診療上の何らかの目的を達するため、拘束対象となる患者の身体をひもで縛る等して、患者の行動を制限する行為である。

 9割を超える病棟では何らかの身体拘束が行われている。対象となる患者は年齢が高く、認知機能が低い傾向にある。つまり我が国で増加傾向が続いている高齢者が拘束対象となっており、今後その対象数は増加すると考えられる。

 身体拘束を行うべきでない理由は二つある。一つは対象患者の人権を侵害する違法行為だからである。もう一つは対象患者の身体、精神および人生を害するからである。踏まえて、身体拘束の実施においては切迫性、非代替性、一時性という三つの要件が課されている。

 ところが実際には多くの病棟で身体拘束が実施されている。その理由は二つ考えられる。一つめは身体拘束が違法性を指摘される行為にもかかわらず、看護師に違法性の認識が欠如しているためだ。しかし感情的には身体拘束が望ましくないと思っている。二つめは転倒転落やチューブ類抜去等、治療を中断しうる事故を防止するために身体拘束が必要と看護師が考えているためである。

 身体拘束を減らす方策は、拘束が行われる理由に対応して二つである。一つは身体拘束が可能との思考を是正するため、身体拘束を受ける体験学習を通じて身体拘束への忌避感を看護師に持たせることだ。違法性の理解を得るのは困難であると考えられ、身体拘束を望ましくないと思っている感情を強化する。もう一つは身体拘束で転倒転落は防げないという研究結果の提示である。勉強会により科学的な根拠を広めることで、看護師の持つ身体拘束が有効であるとの妄信を取り除く。

 二つの方策への批判としては次の四点を挙げた。法的な理解ではなくて感情的な解決を目指してよいのか。科学的な研究結果は看護師の行動に影響を与えうるのか。研究結果は転倒転落以外の状況について示していない。体験学習や勉強会で看護師の行動が変えられるのか。それぞれに対して主張した方策の有効性を説明する。

Ⅰ はじめに

 本レポートでは急性期一般病棟で行われている患者の身体拘束を減らすために、臨床で働く看護師らによって実行可能な方策を検討し導出することを目的とする。まず身体拘束に関する背景として、身体拘束とは何か、身体拘束の実施状況、身体拘束を行うべきでない理由、身体拘束が行われる理由を明らかにする(第Ⅱ節)。その上で身体拘束を行う理由を失わせることで身体拘束を減らす方策を検討、主張する(第Ⅲ節)。次いで同方策に対して考えられる批判に応えることで、その有効性を主張する(第Ⅳ節)。

 看護師は病院組織の一員として身体拘束を行っていることから、組織においてトップダウンで身体拘束を禁止することが身体拘束を減らすために最も有効であろう。しかし現状では身体拘束が広く行われており、この傾向は近年急激に生じたものでもない。よって幾多の組織で直ちにトップが身体拘束を禁止することは非現実的だと考えられる。このような状況下にあっても身体拘束を減少させることが必要と筆者は考え、臨床現場の看護師らで試みることのできる方策を検討した。

Ⅱ 身体拘束の背景

1 身体拘束とは何か

 本レポートにおいて検討の対象となる身体拘束とは、診療上の何らかの目的を達するため患者に対して実施される行為であって、拘束対象となる患者の行動を制限する行為である。身体拘束が具体的に何であるかは厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」により11の行為が挙げられており、本レポートにおいても次に示す11行為を身体拘束として定義する。

①徘徊しないように、車いすやいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。

②転落しないように、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。

③自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)等で囲む。

④点滴・経管栄養のチューブを抜かないように、四肢をひも等で縛る。

⑤点滴・経管栄養のチューブを抜かないように、または皮膚をかきむしらないように、手指の機能を制限するミトン型の手袋等をつける。

車いすやいすからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベルト、車いすテーブルをつける。

⑦立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるようないすを使用する。

⑧脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(つなぎ服)を着せる。

⑨他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る。

⑩行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。

⑪自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する。

厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」, 2001, p. 7)

 いずれの行為であっても病棟で患者に対して身体拘束を行うのは看護師である。看護師の判断によって身体拘束がなされる場合もあれば、医師の指示によってなされる場合もある(小藤, 2018, pp. 32–33; 松尾, 2011)。本レポートでは看護師の判断によって行われる身体拘束を検討対象とする。

 病棟における身体拘束が行われる場は幅広く、一般病棟、地域包括ケア病棟、回復期リハビリテーション病棟、医療療養病棟、精神病棟、重症心身障害病棟とあらゆる病棟で行われている。本レポートでは一般病棟、その中でも短期での疾病治療が目的の急性期患者が入院する急性期一般病棟を検討対象とする。

2 身体拘束の実施状況

 急性期一般病棟において、身体拘束はごくありふれたものとして実施されている。全日本病院協会による7対1および10対1看護体制の一般病棟59病棟における調査では、表1に示す通り、93.1%の病棟で身体拘束11行為のうちいずれかが実施されている。11行為の中でも特に、ミトン型手袋の装着は86.2%、ベッドを柵で囲むことは80.7%と高い実施率を示している。患者の自由な行動を大きく奪う、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る行為も転落防止を目的に57.9%と半数以上の病棟で行われていることが明らかにされている。

表1 身体拘束11行為について「行うことがある」と回答した病棟の割合(全日本病院協会, 2016, p. 15 図表12より)

身体拘束行為 行うことがある割合
1)徘徊しないよう車椅子・椅子・ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る 57.1%
2)転落しないよう体幹や四肢をひも等で縛る 57.9%
3)ベッドの四方を柵や壁で囲む 80.7%
4)チューブを抜かないよう四肢をひも等で縛る 63.8%
5)手指の機能を制限するミトン型の手袋等 86.2%
6)Y字型抑制帯や腰ベルト、車いすテーブルをつける 72.4%
7)立ち上がりを妨げるような椅子を使用 36.2%
8)介護衣(つなぎ服)を着せる 62.1%
9)他人への迷惑行為を防ぐためベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る 24.1%
10)向精神薬の多剤併用 58.6%
11)自分の意思で開けることのできない居室等に隔離 3.4%
1~11のうち1つ以上を実施 93.1%

 身体拘束は拘束対象患者が何かをしないようにと同患者の自由を奪うべく行われる。身体拘束11行為の説明に何かをしないようにとの表現が並んでいることからも、自由を奪う意図があるのは明白である。看護師から見て診療上行って欲しくないことを行う患者に対して、その行って欲しくないことを行う能力を抑制する行為が身体拘束である。例えば最大の実施率を示したミトン型手袋の装着について考えてみよう。末梢静脈点滴に用いるチューブを引っ張る可能性がある患者に対して、引っ張るために要される手指で物を掴む能力を抑制すべく、手指1本1本を独立して動かせなくする、さらには手指の関節屈曲を不完全なものにするためにミトン型手袋が装着されるのだ。

 身体拘束の対象となる患者は主に高齢者である。身体拘束が行われる背景には、診療上の指示に応じるのに十分な認知機能を有さない患者の存在、つまり主には認知機能が低下した高齢者の存在がある。高齢であれば高齢であるほど自然に認知機能低下が生じる傾向がある上、病的な認知機能低下を伴う認知症罹患率も高まる。入院や手術の直後等に、一時的に認知機能の低下を来すせん妄を起こす可能性も高い。齋藤・鈴木は身体拘束対象患者の特性に年齢の高さ、改訂長谷川式簡易知能評価スケールにおける評価の低さを挙げている(齋藤・鈴木, 2019)。

 そして高齢の入院患者は増加傾向にある。若年者に比べ高齢者の方が有病率が高いため、短期での疾病治療が目的の急性期一般病棟であっても入院患者には高齢者が多い。さらに我が国の高齢化率は約3割に達しており、今なお年を追うごとに上昇している。国の高齢化は入院患者の増加と高齢化にも繋がる。よって身体拘束対象となりやすい高齢入院患者は増加する傾向にあると言える。

3 身体拘束を行うべきでない理由

 身体拘束は行うべきでないと考える。その理由は二つある。

 まず一つに、身体拘束対象患者の人権を侵害する違法行為だからである。山本によれば個人の尊重を定めた日本国憲法第13条、身体の自由を定めた憲法31条、逮捕監禁を犯罪とする刑法第220条等により、身体拘束が我が国の法令に対して違反すると原則的には考えられる(山本, 2011)。

 もう一つとして考えられるのは、身体拘束対象患者の身体、精神および人生を害するからである。身体拘束は厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」によれば身体的および精神的な弊害を生じさせ(厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」, 2001, p. 6)、Lüdecke et al.によるとQuality of Life、つまり人生の質を低下させる(Lüdecke et al., 2019)。身体拘束は主に一定の場所、姿勢から動けないように患者の動作を制限するものである。よって拘縮や筋力低下といった身体機能の低下や、褥瘡を患者の身体に発生させる可能性がある。また自由を奪われることによる意欲低下、認知機能低下やせん妄が患者に生ずる可能性を高める。急性期一般病棟が目標とすることは患者の疾病治療、回復、そして早期退院であり、医療は人生の質の向上を目標に提供するものである。身体拘束は目標に対して逆行する行為であると言える。

 以上二つの理由を踏まえて、厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」は身体拘束の実施に対して、次に示す切迫性、非代替性、一時性の三つの要件を課している。

切迫性 利用者本人または他の利用者等の生命または身体が危険にさらされる可能性が著しく高いこと

*「切迫性」の判断を行う場合には、身体拘束を行うことにより本人の日常生活に与える悪影響を勘案し、それでもなお身体拘束を行うことが必要となる程度まで利用者本人等の生命または身体が危険にさらされる可能性が高いことを、確認する必要がある。

非代替性 身体拘束その他の行動制限を行う以外に代替する介護方法がないこと

*「非代替性」の判断を行う場合には、いかなるときでも、まずは身体拘束を行わずに介護するすべての方法の可能性を検討し、利用者本人等の生命または身体を保護するという観点から、他に代替手法が存在しないことを複数のスタッフで確認する必要がある。

 また拘束の方法自体も、本人の状態像等に応じて最も制限の少ない方法により行われなければならない。

一時性 身体拘束その他の行動制限が一時なものであること

*「一時性」の判断を行う場合には、本人の状態像等に応じて必要とされる最も短い拘束時間を想定する必要がある。

厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」, 2001, p. 22)

4 身体拘束が行われている理由

 身体拘束には違法性、治療に対する逆行性があるにもかかわらず、身体拘束が行われ続けているのはなぜだろうか。全日本病院協会による調査では身体拘束11行為にそれぞれ対して「理由を問わずに避けるべき」と答えた7対1および10対1看護体制の一般病棟の割合は表2に示す通りである。ミトン型の手袋等を着ける行為に対しては避けるべきとの割合が最も低く、5.1%に留まった。つまり調査対象中94.9%の病棟で、看護師は何らかの理由に基づき身体拘束に該当する行為が可能だと考えていることになる。その理由が何であるかを二つの面から検討したい。第一の面は違法性が指摘される行為にもかかわらず身体拘束を実施可能と考える理由である。第二の面は患者に対して身体拘束が必要だと判断する理由である。

表2 身体拘束11行為について「理由を問わず避けるべき」と回答した病棟の割合(全日本病院協会, 2016, p. 18 図表16より)

身体拘束行為 避けるべきとする割合
1)徘徊しないよう車椅子・椅子・ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る 39.0%
2)転落しないよう体幹や四肢をひも等で縛る 29.3%
3)ベッドの四方を柵や壁で囲む 13.8%
4)チューブを抜かないよう四肢をひも等で縛る 32.2%
5)手指の機能を制限するミトン型の手袋等 5.1%
6)Y字型抑制帯や腰ベルト、車いすテーブルをつける 13.6%
7)立ち上がりを妨げるような椅子を使用 40.7%
8)介護衣(つなぎ服)を着せる 16.9%
9)他人への迷惑行為を防ぐためベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る 54.2%
10)向精神薬の多剤併用 30.5%
11)自分の意思で開けることのできない居室等に隔離 78.0%

 第一に、違法性があるにもかかわらず看護師が身体拘束を実施可能と判断しているのはなぜか。看護師がその違法性を認識していないからである。松尾によると身体拘束を行う看護師は身体拘束対象となる患者を尊重できていないと感じている、患者に加え家族に対しても申し訳ないと思う等、身体拘束に後ろめたさを感じている(松尾, 2011)。一方で法令に反する可能性への懸念は示されていない。つまり身体拘束を望ましいものとは考えていない現状はあるが、望ましく考えない理由は看護師の感情的なものであり違法性ではない。

 違法性の観点からも身体拘束を制限すべく課されている三つの要件、切迫性、非代替性、一時性は身体拘束時に検討されているのだろうか。渡邊・齋藤によれば、三つの要件の満足が検討されることはない。生命の維持に危険を及ぼすことが予測されるとの切迫性の検討こそ含まれることがあったものの、非代替性や一時性の検討は含まれなかった(渡邊・齋藤, 2021)。

 第二に、身体拘束が必要と判断される理由は何であろうか。Nakanishi et al.による国内937病院における調査の結果を表3として示す。上位の理由は転倒転落を防ぐため、チューブ類抜去を防ぐためである。それぞれ関連する理由をまとめると、転倒転落を防ぐためが58.5%、チューブ類抜去を防ぐためが28.6%。この二つの理由が全体の87.1%を占めている。

 転倒転落およびチューブ類抜去を防ぐという理由は、治療が中断される可能性や外傷等の危害が加わる可能性、つまりは治療を受ける入院患者にとっての不利益を危惧したものである。身体拘束は急性期一般病棟が目標としている患者の疾病治療、回復、早期退院を達成するための手段の一つと位置づけられ、最善の診療のために身体拘束が必要だと判断されていると考えられる。

表3 身体拘束を行う理由(Nakanishi et al., 2018, Table 1より、筆者訳)

理由 全理由に占める割合
転倒転落の可能性 47.4%
チューブ類抜去の可能性 14.0%
チューブ類抜去したことがある 9.6%
転倒転落したことがある 5.9%
転倒転落しそうになったことがある 5.2%
チューブ類抜去しそうになったことがある 5.0%
糞便に関する問題行為 2.3%
徘徊 1.7%
脱衣 1.6%
暴言 0.9%
皮膚の掻破 0.8%
自傷 0.2%

 加えて、松尾によれば看護師には自分が身体拘束を行わないことによって事故を起こしたくないとの思いがある(松尾, 2011)。入院患者の転倒転落、チューブ類抜去は病棟において看護師が起こした事故として取り扱われる。高齢の患者は筋力低下により歩行時の転倒や離床時の転落を起こしやすい。認知機能が低下している患者は非日常的なチューブ類留置の必要性を理解することが難しく、チューブ類抜去を起こしやすい。彼らが起こす事故を防ぐためには問題となる動作ができないよう身体拘束すればよい。看護師はこのような思考を有しており、身体拘束が必要との判断に至っているものと推察される。

 また、松尾、渡邊・齋藤は、看護師が身体拘束を実施する際には他の看護師への慮りがあり、自分だけが身体拘束を行わない選択はしがたいとの思いがあると示している(松尾, 2011; 渡邊・齋藤, 2021)。看護師のこの思いは、身体拘束を行うよう仕向ける同調圧力の存在を示唆している。身体拘束が広く行われている現状を踏まえると、多くの病棟で同調圧力が身体拘束を促しているとも考えられる。

Ⅲ 身体拘束を減らす方策

 身体拘束は行われるべきものではないが、実際には多くの病棟で行われている。この隔たりを解消し、身体拘束を減らすための方策は何であろうか。上述の通り身体拘束が行われるのには理由がある。故にその理由が失われれば、身体拘束は行われなくなると考えられる。身体拘束を減らす方策として、二つの面から示した身体拘束が行われる理由一つずつについて、その理由を失わせる対策を検討したい。

 第一の策は身体拘束を実施可能と判断している思考の是正である。身体拘束の違法性を認識させることが直接的に有効であると言えるが、それが可能であるかは疑わしい。看護師は保健師助産師看護師法によって一定の行為を許される存在、法令によって生み出される存在、法令がなければ維持されない存在なのである。故に法令を理解していて当然であるはずの人々なのだ。それにもかかわらず法令の理解が不足している、身体拘束の違法性を認識していない現状にあって、改めて看護師に違法性の認識を求めるのは難しいのではなかろうか。違法性の啓蒙は重要だとしても、看護師の考え方を改める唯一の策としては脆弱であると言わざるを得ない。

 身体拘束を実施可能とする看護師も、身体拘束を望ましいものとは考えていない。そして望ましいものと考えない理由は感情的なものであった。踏まえて身体拘束が望ましくないとの感情を強化し、身体拘束を忌避させることは、身体拘束を実施可能と判断させないために有効であろうと考える。齋藤・佐藤は看護学生が実際に身体拘束を受ける演習を通じて、患者の恐怖や苦痛を実感し、身体拘束を行わない重要性について理解できたとしている(齋藤・佐藤, 2020)。看護師と看護学生を比較すると、臨床での実務経験の有無という差はある。しかし看護師も看護学生同様に身体拘束を望ましくないものと感情的に捉えている類似性がある。よって体験学習を通じて身体拘束を感情的に受け入れがたいものと捉えるよう看護師を導くことは、身体拘束に関する思考の是正策として有力であると考えられる。

 身体拘束の体験は学生の演習同様、病棟の看護師が実際に拘束されてみることを想定している。病棟の空き病床でも、拘束方法によってはナースステーションでも実施できる。拘束される体験を行う際には、拘束する体験をするものも現れる。身近な同僚の四肢をひも等で縛るとなれば、拘束する側の思考に影響を与えることも期待できる。この拘束の体験は臨床現場の看護師のみによって実施可能な策である。

 第二の策は身体拘束によって得ようとしている結果が実は得られないという研究結果の提示である。看護師は転倒転落の可能性やチューブ類抜去の可能性から身体拘束が必要と判断し、転倒転落やチューブ類抜去が起こる前に身体拘束を実施している。故に彼らは身体拘束を行わなかった場合に本当に転倒転落やチューブ類の抜去が起こるのか、その結果を知らない。言い換えれば身体拘束の有効性を検討、検証せず、身体拘束の有効性を妄信して身体拘束を行っている。しかし研究結果によれば身体拘束の有効性は彼らが信じているようなものではない。

 Sze et al.は様々な方法での身体拘束が患者の転倒に影響しないことを示している(Sze et al., 2012)。Marquesは高齢患者の転倒発生について、ベッドの柵を使用した場合と使用しない場合とで差を見いだせなかったとしている(Marques et al., 2017)。身体拘束を行う最上位理由は転倒転落の防止であるが、科学的には身体拘束で転倒転落が防げないと示されている。有効性を信じて身体拘束を必要と判断してきた看護師に対して身体拘束が有効ではないことを伝えられれば、彼らが身体拘束を必要と判断しなくなると考えられる。

 この方策の実施方法は看護師らによる勉強会や資料配付で情報を伝えていくこととなる。この策も臨床現場の看護師のみによって実施可能である。

Ⅳ 身体拘束を減らす方策への批判に応える

 本レポートでは身体拘束を減らす方策として二つの策を導出した。これらに対してはどのような批判が考えられるだろうか。四点を取り上げ、方策の有効性を論じたい。

 第一に、法的な是非の理解をさておいて感情的な解決を目指してよいのかという批判である。違法であるから行わないのが本来あって、やりたくないからやらないという状態に導くことは問題であるという批判だ。

 法令遵守という結果のために重要なことは、法に定められた範囲内での行動であり、違法となることをしないという行動である。違法性は行動に対して問われるものであり、感情に対して問われるものではない。そもそもどのような感情を各自の内面に抱くことも自由であると、日本国憲法第19条で保障されている。例えば筆者が何者かを殺したいと考えていたとして、殺すという行動を起こさなければ何ら問題はない。それどころか殺したいと考えることは法によって保障されているのである。感情に由来する思考による判断だとしても、看護師が身体拘束を行わなければ、事実として違法性のある身体拘束は行われていないのだ。もちろん患者において身体拘束による悪影響が生じることもない。身体拘束を減らすという観点からは問題ないのである。

 第二に、科学的な研究結果という情報が看護師の行動に影響を与えられるのかという批判である。すでに論じたように違法性の理解すら乏しい看護師が科学的な根拠で行動を変えうるのだろうか。

 確かに、科学的な研究結果に理解を得られぬ可能性は否定できない。しかし看護師が身体拘束を行う理由を挙げる中で、身体拘束が科学的に有効ではないとの情報を含んではいなかった。看護師養成課程で用いられる教科書においても、身体拘束を廃止すべきとの解説や三つの要件の説明はあるが、身体拘束が科学的に有効ではない場面があることについては記されていない(北川他, 2018, pp. 60–63; 堀内他, 2023, pp. 344–348; 水谷他, 2022, pp. 78–83)。臨床にある看護師は身体拘束が科学的に有効ではないとの情報に触れたことがない可能性がある。故に看護師が新たな情報を得ることで身体拘束の実施について再検討することは期待できるだろう。

 第三に、先に挙げた研究結果は転倒転落に関するものであって、それ以外の事態、例えばチューブ類抜去についての有効性を示すものではないとの批判である。

 これは批判の通りである。しかし本レポートの検討目的は身体拘束を減らすことである。身体拘束をなくすことは最高の到達点だと言えるが、目的においてそこまでは求めていない。先に示した通り、身体拘束を要するとの判断に至る理由の約6割が転倒転落を防ぐためである。次点の理由となるチューブ類抜去を防ぐためと比しても約2倍の割合なのだ。それだけ大きな割合を占める転倒転落対策において身体拘束が有効でないと示せることは、身体拘束を減らすのに十分に寄与すると考えられる。

 第四に、体験学習や勉強会で看護師の行動に影響を与えられるのかという批判である。

 小藤は各自のe-Learning受講や各部署での勉強会、高齢者体験スーツを用いた体験学習会は身体拘束を減らすことに有効であったとしている(小藤, 2018, pp. 39–43)。小藤の示した例はトップダウンで身体拘束の全廃を目指していた状況下にあり(小藤, 2018, pp. 14–15)、本レポートで想定している組織のトップが身体拘束を減らすことに強い意志を持たない状況下で同等の効果を期待されるものではないだろう。しかし身体拘束を行う理由に他の看護師への慮り、周囲の看護師との同調が含まれていたことを踏まえると、一定の効果は期待できるものと考える。任意の看護師が直接関わる範囲の看護師、例えば同一病棟内の看護師らが勉強会等によって一斉に身体拘束では転倒を防げないとの情報を得れば、同調効果を得て多くの看護師が身体拘束を行わない方向へと行動を変える可能性はある。

Ⅴ まとめ

 本レポートでは急性期一般病棟における患者の身体拘束とは何か、身体拘束の実施状況、身体拘束を行うべきでない理由と行われている理由を明らかにした。また臨床で働く看護師らによって実行可能な身体拘束を減らすための方策を検討した。

 病棟における身体拘束をなくそうとしたとき、本レポートで検討の前提とした臨床の看護師らによる手法のみでは不十分であることは否めないだろう。冒頭で論じた通り、トップダウンでの施策が最も有効であり、必要であると考える。しかしトップダウンで身体拘束の撲滅を目指す際にも、臨床現場への浸透を図る場面で本レポートでの主張は有用であると確信している。

 本レポートでは身体拘束を行うべきでない理由として、違法性と治療に対する逆行性を示した。事実として、目に見える事象として現れるものを取り上げた故の理由である。しかし身体拘束を行うべきでない理由はさらに深い検討が可能な論点である。身体拘束を一般的な表現として言い換えれば、他人の自由を奪うことだ。自由は不可侵なものか否か。これは倫理の問題でもある。違法性を有する背景とも併せて、倫理的観点による身体拘束を行うべきでない理由の検討も重要だと考えられる。看護という領域では倫理に関する議論が活発であり、倫理的観点を含んだ場合に、身体拘束を減らすための方策にも上述主張に比して広がりを得られる可能性がある。この点は今後の課題としたい。

参考文献

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