夜勤病棟の女神様(仮)

ひよっこナースの日常

学修成果レポートの長いあとがき

じんぐっべー、じんぐっべー、すっずっがーなるー。

昨日公開した学修成果レポートについて、言い訳する時間がやってきたよ。

テーマと弱い結論

現役の臨床看護師なので、臨床からネタを持ってくるってのは自然なところだと思います。身近にこんな問題があって、それは割と世間で共通の問題で、原因はこうで、解決策はこうかな。という流れがいいよね。ってことで、身近な問題から身体拘束を取り上げてみました。

私は本当に身体拘束が嫌いで、やむを得ず本人に了解を得られた場合*1以外は縛りたくないんです。そこには違法性の認識もありますが、必要性への疑問もあるのです。急性期一般入院料1をもらって治療をする中で、身体拘束は治療に必要なのか、寄与しているのか。大体答えは否だと思うんですよ。

加えて身体拘束を巡る看護師の認識には許されない問題があるという感覚を持っていました。法治国家である我が国において度しがたい問題、それは拘束をする看護師に違法性の認識がないということ。法は知らなかったでは済まされません。済まされるなら殺し放題、スピード出し放題ですよ。そんなバカなと思うでしょうが、院内では縛り放題になっている。このことを見聞きした情報だけではなく、確固たるデータとして示せたらそれなりのレポートになるかな。とfeasibility studyしてみたところ、結構いけそうだということで書くに至りました。

結果、それなりの論拠で法は知らずに縛り放題、それでも縛るのは好ましくないと感じつつ縛ってしまう言い訳のお気持ち表明が横行していることを示せました。「思う」とか「感じる」ってのを「である」って置き換えられたことには高い価値があります。

余談ですが、看護学生時代の同級生が、身体拘束に否定的な意見を否定しているのとか見るの、結構悲しいですよ。お前はどこで違法行為に手を染めるようになってしまったんだって話ですからね。

一方、根本にお気持ち問題が絡んでいるので、臨床現場での対策はどうしても弱いものになってしまったなとは感じています。私が横断歩道を渡ろうと待っていても車を止めない連中に、私が有効に働きかける方法はありませんよね。その場だけなら、大きく手を振るとか、思い切って前に出るとか、ありますけど。そういうことです。

くどい引用記法

今回、多くの引用で「Authorによれば、あれやこれやである(Author, yyyy)。」という記法を用いています。一般的には「Author(yyyy)によれば、あれやこれやである。」か「あれやこれやである(Author, yyyy)。」ではありませんか。そう理解しつつも今回のくどい記法を採用した理由は、『新しい学士への途 学位授与申請案内 令和5年度版』において引用について妙にうるさく書かれているからです。念のため、極めて明らかな方法をとりました。

妙にうるさく書かれている理由が、過去にやらかしてしまう学生が結構多かったが故なのか、何なのか、不明です。赤信号を渡るなってのを延々と注意書きされているような状況に警戒しないわけにもいきません。『新しい学士への途』に具体的指示を伴う説明がない以上、従うべきは法令のみということになり、引用部と出典が明確なら形式はどうでもいい。そこで美しくない気がしながらも、安全側に倒した結果ですね。何となく、過去のやらかし由来で、わかっていれば気にしなくてもよいのかなと思いつつ。

こういう場面で先例があると助かるのですが、それもなかったので。今回一つの例を公開したことで、後進の方々が悩まず進める一助となれば嬉しいですね。

試験前の読み直しで気づいた過ち

参考文献として挙げたMarques et al., 2017はシステマティック・レビューで、その対象としてSze et al., 2012(これもシステマティック・レビュー)が含まれている。それにもかかわらず2本を論拠として並列に挙げています。なぜ書いていたときに気づかなかった。

試験で気づかされた今後の課題

締めの「今後の課題としたい」はお約束ですが、この課題設定が言い訳になっているなとは書いたときから思っていました。これは私が看護倫理病にかかりかけていたが故のことで、法とデータだ! 倫理なんて知ったこっちゃないぜ! という勢いで押し切れなかったんですよね。拘束と倫理を結びつけないことは手落ちなのではないかという気弱な不安から「看護という領域では倫理に関する議論が活発であり、倫理的観点を含んだ場合に、身体拘束を減らすための方策にも上述主張に比して広がりを得られる可能性がある。」としました。審査を通すための方便とも考えていたわけです。

学位授与試験が凄いところは、一人一人のレポートに合わせた試験問題であることはもちろん、その内容が鋭く学びに繋がるということなんでしょうね。私は2問出されて、1問は本人確認であろう内容の要約。もう1問は身体拘束が全廃されたとして、転倒転落やチューブ類を防止するために有効な看護、看護を行う看護師へのアプローチを説明せよというもの。いやはや、今後の課題はこれですよね。お恥ずかしい。

押すと決めたら押し切らないとダメ。ごまかすような付け足しなど達人には通用しないと痛感するとともに、試験を本当に楽しむことができました。

書いてよかったと思えたことが収穫

当初、果たして本当に臨床で有効な方策が導き出せるのだろうかと思っていました。書き進めるとその思いは強くなる一方で、いやいや、これ本当に役立つの? と。自身疑ってかかったところは「Ⅳ 身体拘束を減らす方策への批判に応える」にも含まれていて、その回答も書いているときにもどうなんだろうと思っていました。

でも、書き終えて、通して読み直すと、臨床の視点からもなるほど意外といけるのかも知れないなって方策になってたんですよね。今回一番効いたのは「身体拘束を行うよう仕向ける同調圧力の存在を示唆している」と言えたことですね。臨床の看護師にはそういう感覚を持っている人が私以外にもいるだろうと思うのですが、そこを理路整然と取り上げて、対策を考えられたことは凄くよかったなと。我が道はまだ長い。どこかで試す機会もあることでしょう。

今回レポートを書くに当たり、お作法をおさらいするために読んだ『最新版 論文の教室 レポートから卒論まで』。

その著者である戸田山和久がある対談の中で、私がよかったと感じた背景の重要性を話していました。

 卒論を書いてもらうことにはきちんとした意義があります。研究者にならない人に卒論を書いてもらわなくてもいいんじゃない? という意見もありますが、私は違うと思う。山内さんも書いている通り、卒業論文は学術論文ではないので、オリジナリティなど必要ありません。結論はありきたりのものでもいいし、誰かがすでに言っていることでもいい。そこまでの材料を自分で調べて、それをまとめて、構造を作っていくということが卒論の大切なところなんです。そのスキルは他のことに転用できるわけですから。

NHK出版 書籍編集部「「論文を書く力」は、一生もののスキルです!――対談:山内志朗×戸田山和久(後編) 」より)

学修成果レポートで求められていることはまさにこれですよね。

学修成果レポートをこれから書く人たちへ

試験まで受けて感じたのは、学修成果レポートでは単純に学問しているのかを評価したいんじゃないのかなってこと。4年制大学卒業、学士の水準ってのはそのあたりで、出来の良し悪し、論考の巧拙までは踏み込まれないのでは。

故に少し軽い気持ちで書いてみてはいかがでしょ。

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*1:インフォームドコンセントがどうのと抜かす連中が本人以外から得た署名をもってして縛ることを正当化して、どこにinformed consentがあると言えるのだろう。