激動の1週間の最終日、私は今、失業等給付特定受給資格者(仮)です。
- 保健室のひよっこ先生シリーズ
- 春 4月編
- 初夏 5月, 6月編
- 盛夏 7月, 8月編
- 秋 9月, 10月, 11月編(この記事)
シリーズ最終回、いってみよー。
9月, 10月
9月は高岡に行ってきました。菅笠の越中福岡、福岡町は高岡にあるんですね。
1人2か月2人月で乗り切れ
前回の最後にお伝えしたとおり、フルタイムで稼働しているのは私だけとなりました。しかしやることは変わりません。ポスティングして、訪問営業して、オープンキャンパスへの集客を目指します。8月のオープンキャンパスでもその兆しはあったのですが、この頃から、これまでの訪問営業の成果としての相談が出始めます。これはとても嬉しかった。私が一番外に出てると申しましたが、行動力の他に、今時そんな地味な営業が効果的なのかという疑念もあって差が付いていたと思うんですよね。確たるデータがない中で、これしかないと信じてやってきた訪問営業の反応が得られたら、そりゃ嬉しいですよ。しかしその反応は入学決定ではありません。このことが空っぽの財布と相まって厳しい現実を突きつけます。
私立の学校というのは、立ち上げに際して、誰かがお金を出しています。それが法人か自然人か、複数か単独かはいろいろありますが、誰かがお金を出しているからこそ、初年度に必要な7,000万円なんかが準備できるわけです。もっと言えば、私立の通信制高校は設立後数年、学費だけで運営を賄えないことは普通。継続的に誰かがお金を出す必要すらあります。よって、空っぽの財布をどうにかするには、誰かにお金を出してもらうことが必要。我々の場合、それまでお金を出してくれていた所有者に、追加で出してくれるようお願いすることになります。が、入学者数という目に見えた成果が出ていない中で出してもらえるか。それでポンと出してくれるのならば、そもそも最低限の10%資金で戦闘開始せざるを得ない状況にはなりませんよね。
10月、11月で、何とか入学決定者を出せないか。そう考えて尽力するも、金がなくてはできることも限られます。受ける相談を丁寧に扱い、個別に学習計画提案書を出すぐらいがせいぜい。そもそも相談件数も少なく、結果としてはゼロ。秋に入って何度か受けた質問に「何月までなら4月入学にできますか」というものがあります。実績がない弱小校に、早々と入学を決める人なんかいないんですよね。わかってはいました。この時点で入学決定者が出たとしたらそれは奇跡です。「起こらないから、奇跡って言うんですよ」という言葉を思い出しては「起きる可能性が少しでもあるからだから奇跡って言うんだ」と返したことは数えきれず。そんな中でも訪問営業の効果が出ていることから、このまま行けば、2月、3月には何とか数件は望めるのではないかとも思っていました。
ここでついにと言うか当然に起きたのが、給料支払いの大幅遅延。9月で補給が入り、1日遅れで済みましたが。10月は補給なく、10月中に給料が支払われることはありませんでした。
8月の時点では給料が出なければ退職かなと思っていたのは前回記したとおりですが、10月に入ってからはその考えをやや変えておりました。営業活動への反応が多少は出てきていることから、その結果を見たいと考えていたのです。そこで夜勤専従看護師として稼ぎつつ、日中は最低限の稼働で学校を維持できないか。行ってみれば学校の方は趣味と割り切れば何とかならないか。などと思案していました。
the Last Job
結果的に最後の仕事となったのは、10月末、県主催の高校合同説明会。合同説明会と言えば同人誌即売会みたいなアレでしょ? そりゃ私の出番でしょう。と、夏を過ぎてからの配付資料は全て私が作ったものになっていた乗りのままに戦う気満々でございました。通信制高校の合同説明会というのはちょこちょこ開催されていますが、どれも私企業主催で出展料が必要。当然払えないから参加できない。が、今回は県主催で出展料は無料とくれば喜んで参加しますよ。
これが「激動の1週間」への前奏曲だと、どことなく気付いていたのかも知れません。会場へ向かう車の中ではYuji Ohno & Lupintic Five with Friends『LUPIN THE THIRD the Last Job』を流していました。2日間開催で1日目、2日目で説明員を職員2名で振り分けていたのですが、もう1名が直前になって難色を示したんですよね。顔を知られたら県内の学校で仕事ができなくなると。理由が何であれ、戦意のない説明員を投入しても戦果は得られないので、2日間とも私が出ました。が、今にして思えば、この時点で逃げる準備はできていたのでしょう。
同人誌即売会みたいなものなら、頒布数がゼロ、説明を聞きに訪れる人がゼロでも泣かない。学校名を目に入れてもらえば上々よと久しぶりにPO.SU.TA.を使い、ポスターを掲出して、説明会の開始を迎えました。が。...ん? 人が入ってこない? なぜ? 一般参加者、ではなかった、生徒と保護者は説明を聞きたい高校を受付で指名し、通される仕組みでした。おかげで廊下は結構賑わっていますが、ブースが並ぶ部屋の中はスカスカ。一部の高校に生じている待ち行列も廊下での話で、会場は常にスカスカ。学校名も見てもらうことができないとは。ブースにいらっしゃった方がゼロではなかったのは不幸中の幸いでしたが、なかなか厳しい2日間でした。それでも私は、まだ諦めていなかった。「まけない!」って「セーラースターソング」流して、イベント後の夕食を食べていました。
11月
生きて戦い抜く道はなかった
11月になっても10月分の給料は出ませんでしたが、期待もしていなかったため、稼ぎは他でと準備を始めました。直後、「激動の1週間」が訪れます。
15日遅れで給料が支払われ衝撃が走るも、いよいよ今月はないだろうという状況に。私にしてみれば想定内であり、引き続き、年度末まで耐え抜く方法を模索していました。そのとき、内部の裏切りが発覚します。11月から他でフルタイムの職に就いていると。内部と言っても職員は2名だけ。そういうことです。教頭と養護教諭で、教頭が養護教諭に黙って逃げるとはどういうことだよ。と、しばらくして思わなかったわけでもありませんが。事態発覚直後にまず考えたのは、どう対処するか、何とか続ける方法はあるのかですね。諦めない、生きて戦い抜く。「まけない! あしたへ」。どこで身につけてしまったのでしょう、この頑強な精神。
11月の半ばを前に、私は学校職員として残った最後の1人になりました。それでもまだ諦めず数日検討しました。しかし、活路を見いだすことはできませんでした。稼ぎと学校を切り離したとしても、他に解決できない問題があり、どうしようもない。ここまで何とかならないことはなかったのですが、いよいよ何ともならないとは。もはや歩める道は、撤退路のみでした。
激動の1週間の最終日。朝起きて、やはり撤退路しか見つけられませんでした。私は退職を決め、学校の職員をゼロにし、活動を停止させました。
旅は終わるもの、また始めるもの
16年越しに養護教諭の道を歩み出した私の、終着駅はここでした。
終着駅に着いた列車はどうなるでしょうか。また次の任に就くため、走り出します。私もまた、次の挑戦を求めて歩み出しましょう。でも、まず、金銭の補給が必要ね。
9月に買ったもの。どんな状況でもお腹は空くからね、ずっと大好きなカレーマルシェを補充。さすがの私も、上述の状況下では無駄遣いを避けました。















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