ちょいと前から、女子保育園児の親が男性保育士に娘の世話をして欲しくないと訴えてるなんて話が盛り上がっています。
娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です。
女性活躍を進める中だからこそ、真剣に日本社会が議論し、乗り越えるべき課題です
乗るしかない、このビッグウェーブに。てことで、ちょっと意見を書いてみる。
その流れの中でも出ているとおり、看護の現場では割とあるそうです。男子看護学生は性別を理由に断られても泣かないことを、実習を通して学ぶのだと笑い話になるぐらいです。この辺の話は以前にも書きました。
誰のための保育なのか
女性が「男性に裸にされて、身体を拭かれたくない」と思い、注文を出すのは自由です。しかし一方で「男性? 女性? そうじゃなくてできる人がやってよ」と思い、注文を出すのも自由です。しかしこの自由って代物は、人間に先天的に備わっているものではありません。
何を選ぶべきか。そのことを考えられるよう子供を育て、子供の自由を守るのが大人の責務ではないでしょうか。保育園にいる娘を、どう保育してもらうことがよいのか。保育園にいる娘に、何を経験させることがよいのか。自由な人、自ら考えられる人、世界を切り拓ける人。そんな人に育って欲しいと思いませんか。あなたの好みで子供の未来を奪う前に、親であるあなたがどうするべきかもう一度考えてみてもよいのでは。と、一連の話に思いました。
ところで、これは地雷だとわかっていて言っちゃうんですが、現代の「女児は女の子らしく」「男児は男の子らしく」を当然として育ててしまう保育園の自業自得感もあるよね。
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ここで準にゃん持ってくるセンスはどーなんだ。