夜勤病棟の女神様(仮)

りんごと桜の街、看護学生の日常

看護とは何か

理想のナース曰く

看護学校の1年生と言ったらこれ。

Notes on Nursing: What it is and What it is Not (Japanese translated)

日本中の看護学生がこれを持っているんじゃないかと思います。ここここからザックリ計算すると、毎年85,000部ぐらい売れてるんじゃないでしょうか。誰もが持っている教科書と言えば芦部信喜憲法』を思い浮かべますが、こちらは22年で95万部、毎年4.5万部ぐらいですから、如何に出ているかがわかります。本題とは全く関係ありませんが。

さて、「これ」はFlorence Nightingaleによる名著『Notes on Nursing: What it is and What it is Not』、邦訳『看護覚え書 ―看護であること看護でないこと―』です。原著は1859年発行なので著作権保護期間が切れており、ウェブ上でも簡単に手に入ります。

archive.org

日本語訳の書籍はこちら。割と読みやすい訳で、私の通う学校でもこれが使われています。

看護覚え書―看護であること看護でないこと

看護覚え書―看護であること看護でないこと

この『Notes on Nursing』こそが私たちに「看護とは何か」を教えてくれる金字塔なのです。

看護であること、看護でないこと

看護とは何か、同書によればザックリ言って「患者が回復できるよう環境を整えること」です。清潔にしようとか、安心してもらえるようにしようとか、そんなの。

看護でないことはその逆が記されています。

この著述が今なお正鵠を得ていることが、彼女こそ理想のナースとされる所以です。*1

しかし彼女は本当に理想のナースなのでしょうか。目指すべきところなんでしょうか。お遊びはここまで、模範解答は窓から投げ捨てろ。全国の看護学生が書いてそうなことを書いても退屈、斜め上に行ってみましょう。

何のための看護か

看護とは何かを書いたのですから、この問いには簡単に答えられる? そうかな?

  1. 患者の回復のため
  2. 金のため

問題は2番目です。今、看護職に就いている人のうちどれだけが「対価などいらない」と言えましょうか。つまり事実として、看護は金のためです。

ところがナイチンゲールには2番目がなかったものと推察されます。彼女は生まれながらにして名声と金には困らなかったようです。小娘ごときが(と言っても今なら行かず後家と呼ばれそうな歳からの活躍でしたが)国の上層部とやり合い、学校や病棟を手がけられた理由はそこにあると私は見ています。ヴィクトリア時代と言えば『小公女セーラ』の時代です。終盤の掌返し、覚えていますか。当時、身分は何にも代えがたい力を持っていました。

多くの日本人は日本人である限り、彼女のようになることは不可能です。しかし彼女のようになることが理想なのでしょうか。

驚いたことに、彼女の功績に「対象を選ばぬ看護」はないようです。そりゃそうですよね、自国の軍人が死ぬのは自国ひいては己の不名誉ですが、セーラ(使用人)が死ぬのなんてどうでもいいことだったのですから。あれ? 彼女は知らずと、金の源泉である出自のために働いていたと言えそうです。*2

短い中でふらふらしましたが、日本の看護教育において彼女を理想と扱うことは適当と言えそうです。対価を払えないヤツは切り捨て。さすがは理想、行いが違います。

看護も現実路線

念のために書いておくと、学校でこんな厳しいことは言われません。そもそも、ヴィクトリア時代の状況なんて触れられませんからね(受け身かつ可能)。

ただ、今も昔も看護には金がかかるんですよ。『Notes on Nursing』の中にも金がなきゃできないことがたくさん書かれています。看護とは高潔さではない、看護とは金がかかるもの、彼女が教えてくれる重要なことはこれなんじゃないかなと締め括りましょうか。

看護学校受験生は「看護とは何か」に備えるべきか

面接で聞かれる可能性は高いんじゃないかな。私も聞かれた。でもさ、何も考えずにナイチンゲール教に入るのもどうかと思いますよ。

ちなみに小学生が学ぶ「看護」はこれ。

fukapon.hatenablog.com

*1:ここで「罪を憎んで人を憎まず」みたいなことを考えた人は私とお揃い。

*2:同じ時代、1862年にJean Henri Dunantは赤十字設立の契機となる『Un souvenir de Solférino』を出版している。同氏曰く分け隔てなく人を救う理由は「人類みな兄弟だから」。